自閉症だったわたしへ  ドナ・ウイリアムズ:著  河野万里子:訳

たとえば電車の乗っている時、一人で街を歩いている時、周りの景色がすうっと遠のいてゆくようなことはないだろうか。まるで自分のまわりにだけ、目には見えないバリアができてしまったようで、街の喧騒も人々も蜃気楼のようにぼやけてゆがみ、自分がどこにいるのかわからなくなる、何者であるのか分からなくなる。人がこんな風になるのは、何かショックなことがあったり心が傷ついていたりする時、あるいはひどく疲れている時なのだろう。そうして大抵は、時間によって癒され、やがて手ごたえのある現実感と自分自身とが再び戻ってくるものだろう。けれどもし、癒されることがなかったら?外の世界が益々無意味に感じられ、バリアは益々厚く、益々抜け出られないものになっていたとしたら?……本書の著者、ドナ・ウイリアムズは、そうした困難を抱えて生まれてきた人だ。それが「自閉症」という名の症状であることも知らず、変わり者扱いされることに耐えながら、彼女は懸命に、バリアの向こうにある普通の世の中へ入っていこうと闘った。バリアの内側の、自分だけの世界も守ろうと闘った。そうして長い長い闘いの末、ついに教養ある素晴らしい女性に成長した彼女は、自分がどこにいたのか、何者でああったのかを知るために、過去の時間の糸を手繰り寄せるようにして心のたびに出た。本書は、その鮮烈な軌跡を、彼女が自分自身で綴った手記である。 

自閉症の子を持って   武部 隆

長男が2歳の段階で軽度自閉症と診断された。医者は「適切な訓練」を受ければ、小学校入学時までに健常児に等しいレベルまでになると言う。しかし、「適切な訓練」を求めた著者の先には数々の障害が待ち構えていた。「重度重視」の福祉政策、専門医の決定的不足、「特殊学級」を強いる教育関係者、そして、時に「鬼」と化す自分自身の心……。さて、自閉症児の発生率は約1%と言われる。大げさと思われるかもしれないが、不登校や引きこもりなども軽度の発達障害と指摘する専門家も多い。その半数が軽度の自閉症だとすると、1%という数字は荒唐無稽とは言えないように思える。自閉症障害児は増えているのだろうか。著者は増えていると感じている。しかし、それは必ずしも自閉的障害を持った子どもが増えていると言う意味ではない。心や体にハンディを抱えた人々が、「障害者」になるのは、本人ではなく、周囲、社会の仕組みや健常者の心のあり方のせいだと思えてならない。昔なら周りのさりげない思いやりのお陰で普通の生活を営めた人が、現代では生活に差し障りが生じるような環境になってしまったのだ。特別扱いを求めているわけではない。「そこにいても構わないよ」という余裕のある社会になって欲しいのだ。 

ホームPOMO発達障がい

  自閉っ子、深読みしなけりゃうまくいく  ニキ・リンコ 仲本博子 

皆さん、「特別支援教育」に何を望みますか?発達障害の子どもたちはいったい、何に戸惑ってきたのでしょう?どういう教育をすれば、自閉っ子たちが将来独立できるようになるのでしょう?ニキさんと一緒に、特別支援教育先進国といわれるアメリカの現状を学び、日本の強みを活かした自閉っ子支援のあり方を探ります。

さん さん さん  −幸せはいろんなかたちでそこにある−  佐々木志穂美

その昔、私はあまりにも平凡な女の子だった、と思う。担任にすら顔を忘れるんじゃないかというくらい、無色透明、無味無臭。思春期が来て、身長だけあって、思いきり鈍い運動神経やまるきり欠如した音感や、ぱっとしない容姿や内気な性格や……とにかく自分のすべてに劣等感を持ち、それらを引きずりながら大人になった。やがては自分を少しずつ好きになり、結婚し、そして3人の子の母となった。今は人生ハッピー、ラッキー、ばら色である。そこまで言ったら言い過ぎか。でも、ホント、幸せ、と最近は思う。その子どもたちが3人とも障害をもって生まれてきても、である。いや、障害をもって生まれてきたから、であるかもしれない。人は健康に五体満足に生まれても、人生を終えるまでに障害を持つ可能性はとても高い。わが子や孫が障害を持って生まれる可能性も、まるっきり他人事と笑えない程度に高い。だから知ってもらいたい。障害は不幸ではない。健康な人にも幸福な人と不幸な人がいるように、障害があっても同じ。幸福にもなるし不幸にもなる。障害が不幸のモトということは絶対ない。私は今、実感を持って、そう思う。 

きらんきらん・赤い実  13歳自閉の天才作家 東田直樹の創作童話

光を音でとらえた、一人の少年がいた。それが東田直樹だった。「光」というテーマで彼が書いた童話は(財)グリムの里いしばしが主催するグリム童話賞の中学生以下の部の大賞を2年連続で受賞した。彼は自閉傾向であった。人としゃべることも、人と交わることも苦手だったが、そのかわり童話を書くことが好きだった。前作、「勇気はおいしいはず」を読んだ川崎医療福祉大学教授の佐々木正美氏は、彼をこう評する。「自閉傾向のある日とは、規則的でパターンのはっきりした思考をするものです。したがって、視覚優位で、見たものをそのまま映像化し再現することのほうが得意です。絵画などにその才能を発揮する場合がありますが、それがいい例です。俗世間に染まらないピュアな感覚、その幅の狭さがいいほうに作用すると物事を直線的に求め、迷いなくシャープな表現になります。彼の作品にはそれを強く感じます。そのうえ彼の場合には、ピュアな感性に加えて、類希なる想像力があるように見受けられます。彼のような例はきわめて珍しいケースだが、彼の感性を捻じ曲げたりしないで、見守ってあげたいと佐々木正美氏は言う。 

勇気はおいしいはず  東田直樹作品集

物語を書いている時、僕は生きていることを実感できます。なぜなら、そこには笑ったり怒ったりしゃべったりする、みんなと同じもう一人の僕がいて、僕をとっても幸せにしてくれるからです。僕の理想の物語は、読むだけで場面が絵のように、頭の中に浮かんでくるような物語です。この本を読んでくださって、「もう一度読みたい」と思っていただけたなら、僕はうれしいです。それは読んでくださった方が主人公の気持ちになって、どきどきはらはらしてくれた証拠だからです。書くことが僕は好きです。僕の物語の世界へ遊びに来てください。ほんの向こうで、僕は待っています。―ありがとう― 東田直樹、自閉症傾向のある男の子。書く才能があることを母親が発見。読み聞かせ、テレビ・ラジオの名作物は、手に入る限り本人に見せた。コンクールにも応募。数々の賞を受賞。本書には、「この世で一番美しい音」「ぼくたちの青い星」「白い小鳥」の各作品と、成長記録が収められている。直樹君は将来プロの作家になることを公言してやまない。「僕の頭の中は、いつも書きたいことでいっぱいです。人に勇気を与えられるような作家になるのが、僕の夢です。」 

たっちゃん ぼくがきらいなの(たっちゃんはじへいしょう) さとうとしなお:作 みやもとただお:絵

ぼく、たっちゃんとあそびたいのに―「ぼく」の疑問に答え、友だちの自閉症について、理解を助ける絵本です。自閉症は母親の愛情不足の育児が原因だと、誤解されてきた時代がありました。しかし現在では、生まれつき中枢神経のはたらきに異常があって、見るものや聞くものをはじめ、あれこれ感じるものの意味を正しく理解することができにくいために起きる、生涯にわたって続く発達障害だと考えられています。自閉症児は、目に見えるものの理解度は高いのですが、目に見えないもの、言葉の意味や人の気持ちを理解することは難しいとされています。自閉症児が、普通の人のような話し方やコミュニケーションの仕方、社会の常識、周囲の人や状況に合わせて、臨機応変に適切に対処していく能力などを身に着けていくためには、周囲の人のあたたかい思いやりと根気のよい協力が必要ですし、本人も大変な苦労をしなければならないのです。

コミック会話(自閉症など発達障害のある子どものためのコミュニケーション支援法)キャロル・グレイ:著 門 眞一郎:訳

この冊子は、キャロル・グレイが著したComic Strip Conversations1994年刊)を訳したものです。キャロル・グレイは、自閉症の子どもを20年にわたって教育してきた方で、米国ミシガン州の公立学校で自閉症スペクトラム障害(ASD)の子どものコンサルタントとして、さまざまな教育場面や就労場面で、子ども、親、専門家に関わっています。グレイはASDの人たちを支援するための教材や方法を、色々開発しています。この「コミック会話」法は、グレイが開発した「ソーシャル・ストーリー」法と共に、ASDの子どもに、その障害特性に合わせて「ソーシャル情報を」教える方法です。簡単な描画と色を使って進行中の会話を図示することで、会話の中ですばやく行われるソーシャルな情報交換を理解しやすくするのです。 

CITIES   スティーヴン・ウイルシャー画集U  オリバー・サックス他:文  久保紘章:監修

スティーヴンは依然として自閉的であり、これからもたぶんそれは変わらないだろう。しかし彼には、自我の強さやユーモアはもちろん、少なくとも建物や街並みへの愛着に示される、彼なりの社会への関心、独自の想像力が備わっている。こうした力によってスティーヴンは自らの自閉症を乗り越えることができ、私たちの時代を独特のやり方で記録し、創造するものとなっていくだろう……。

DRAWINGS  スティーヴン・ウイルシャー画集T サー・ヒュー・カッソン他:文  久保紘章:監修

スティーヴン・ウイルシャーはロンドン生まれ、自閉症児と診断されたが、4歳から通い始めた養護学校での絵の才能を認められた。周囲の人や物に関心を持たず、言語もなかったスティーヴンにとって、絵が社会との繋がりの手だてになると信じた教師たちの励ましによって、スティーヴンの天性の画才は障害を越えて花開いていった。彼は建築物を描くことを好み、しばらく眺めたあとは、記憶だけによって、少年とは思えぬ技と正確さをもって描きあげる。描くことで存在を主張してきた少年スティーヴンによるロンドンやその他の街の建築物のスケッチを集めると共に、彼のような知的障害と突出した才能を併せ持つ「サヴァン症候群」に関して、精神医学の立場や、養護学校の先生、また彼の才能に最初に目を留めた英国ロイヤルアカデミー前会長ヒュー・カッソン卿の解説なども付したユニークな画集。 

自閉症だったわたしへV  ドナ・ウイリアムズ:著  河野万里子:訳

本書(原題Like Color to the Blind)は32歳のドナが綴った、3冊目の手記である。「この気持ちはいったい何/(中略)/色にこがれる目の不自由なひとのよう」と、ドナは今回、いっそう深く自分の心の内を探ってゆく。そうしてたとえば、これまでの2冊では漠然としか語られなかった彼女の不安や違和感、拒絶反応といったものが、はっきりと「防衛心」「脅迫観念」「儀式的行動」と名指しで呼ばれ、闘うべき敵として詳細に描写されている。自閉症者自身の描くその闘いぶりと心の動きは、研究や療育に携わる方々に、とりわけ興味深い部分ではないかと思う。また、精神遅滞とみなされていたのに、書くという表現手段を得たとたん、高い知性と才能が見出された自閉症児アレックスとの友情のエピソードにも、目を見張らされる。だが何より胸を打たれるのは、やはり心の壁を打ち破り、愛や信頼というものを探して懸命に育んでいこうとする、ドナとイアンの姿だろう。 

ありがとう、フォルカーせんせい  パトリシア・ボラッコ:作・絵 香咲弥須子:訳

「きみは よめるようになる。やくそくするよ」
本を読むことを、とっても楽しみにしていたトリシャ(LD)でも、トリシャにとって、字も数字も、くねくねした形にしか見えません。クラスの友達が、読めないことを笑うので、トリシャノ苦しみは増すばかり。5年生になった時、新しい先生が来ました。先生はトリシャの絵がすばらしいことに気づきました。そして、トリシャの秘密−字が読めないことを知った時先生は、特別な練習をし始めたのです…。作者の自伝的なお話です。 

あしたはきっと晴れU  −思春期編−   あらみなおこ

「続編は、いつ出るの?」という声に、「今、描いてるところ」と答えて、数年が経ってしまった。そろそろ仕上げないと、いい加減みんなに忘れられてしまう、とあせりを感じながらも、空いた時間にちまちま描きため、やっと続編ができあがった。今回描いた思春期の女の子には避けて通れない生理についての話は、特に思い入れがあった。「ここまで、描いてもいいのか?」と思いながらもありのままに描いてしまったのは、女の子を持つお母さんが特に心配していることだと思ったからだ。当時は、生理になるたびマオも私も1週間が地獄のようだった。大変な時もいつかは過ぎていく。過ぎてみて初めてマオの進歩を感じるのだ。先が見えずに不安になることは、これからだって数え切れないくらいあるだろう。今、直面している問題で頭がいっぱいで、この先のマオの進歩など考える余裕もなく顔を上げて前を見ることさえできないこともある。だけど「あしたはきっと晴れ」そう信じて今日もマオと歩き続けたい。 

自閉っ子におけるモンダイな想像力   ニキ・リンコ

自閉症スペクトラムの人たちには「3つの障害」があると言われている。それは「社会性の障害」「コミュニケーションの障害」「想像力の障害」のことなんだそうだ。でも、「想像力の障害」って分かります?私は、最初分からなかった。それに、「想像力の障害」という表現は、どうも誤解の元になりやすいと思うのです。「自閉っ子、こういう風にできてます!」の中で、藤家さんがこんなことを言っていた。「私、診断受けて、アスペルガーについて説明した雑誌で“想像力の障害”があるって読んだ時、ショックを受けました。私、童話作家になりたかったんですけれど、想像力がなかったら童話作家なんか無理だ、と思って」ほらぁ。おおざっぱな名前つけるからこんなことになるのよ。「想像力の障害」というのは「想像力の欠如」「想像力の貧困」とイコールではない。それは、「想像力が、世俗の生活の役に立ってくれない障害」じゃなかろうか。 

光とともに 〜自閉症児をかかえて〜   戸部けいこ

2004年日本テレビ系列でドラマとして放映。多くの自閉症児とその家族・教育・療育・福祉行政・医療関係の人々に取材をかさねて、フィクションとしてこのマンガは発刊された。
1
巻:ダダとともに ダダ母(奥平綾子)、
2巻:ノブの世界 丸岡玲子、
3
巻:「ありのままに、あたりまえに、地域で生きて……そして、僕(明石徹之)は、ひょうきんな公務員になった」
   明石徹之の母 明石洋子(NPO法人 サポートセンターあおぞらの街 理事長)、
4
巻:子どもたちに導かれて 小学校(障害児学級)教員 長江清和、
5巻:私の『光とともに…』 結城法律事務所 弁護士 阿部真理子。自閉症って…? 
   内山登紀夫(よこはま発達クリニック院長)、
6
巻:「息子は大学生」 鈴木正子、
7巻:「大人になる自閉症の人の進路について」 社会福祉法人 電気神奈川福祉センター副センター長 志賀利一
   「自閉症を持つ人が働く―私たちの場合―」 NPO法人 自閉症サポートセンター 松井宏昭 
8
巻:「発達障害者支援法」(法律第167号) 
9巻:「小・中学校におけるLD(学習障害)、ADHD(注意欠陥/多動性障害)、高機能自閉症の児童生徒への教育
   支援体制の整備のためのガイドライン(試案)」 
10巻:−高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律案に対する附帯決議−
   『大きくなったら、明るく元気に働く大人に』 Rくんママ 佐藤和美 
   各巻のあとがきにある関係者や専門家、法律等のフォローも参考になる。 

 自閉っ子、こういう風にできてます! ニキ・リンコ 藤家寛子 

この本を読む人が増えれば、自閉症に対する理解の輪が広がります!「明るい自閉っ子」である自閉症スペクトラムの翻訳家と作家が、抱腹絶倒の対談を通じて、ちょっとふつうと違う身体感覚と世界観を語っています。二人の日常をつづったマンガもついて、笑っているうちに、発達障害の内側が手に取るようにわかる一冊です!

お兄ちゃんはゆっくり、すこしずつ -障害のある私の兄を紹介します-  門真 妙

この本の原点である小学校6年の時に夏休みの自由研究で書いたレポート「がんばれお兄ちゃん!!」。何を思ったのか母がそのコピーを友人知人に配り、予想以上の(というか、予想なんてしてなかった―)反響を頂いてしまったことがきっかけで、今日の出版に至ったのだが、やっぱりどこが良かったのだろう?と、書いた本人はいまだに疑問。ただ読み返してみると「底抜けに明るいなぁ」と感じる。そこが良かったのかな? まだ子どもだったからね。何でもかんでもポジティブだったんだと思う。現に当時のそれには兄の手術の事は書かれていない。―私も成長したということなのか、兄の発作時の表情にドキッとさせられる事が多くなった。怖い!と感じる。前はそんなことはなかったのに。鬼気迫るということは、こういう事を言うのだろうか? 最近嬉しい事がある。兄の顔のボツボツが減ってきている。どうか友だちに胸張って紹介できるぐらいのハンサムになってね☆お兄ちゃん!! ウフ。 

あほやけど、ノリオ ダウン症のアニキをもって   露の団六(落語家)

イハラノリオは私のダウン症の兄です。8人兄弟(2人は幼くして他界)の一番上。兄弟みな結婚して子どもが生まれる時、同じ事を考えているようです。ダウン症、千人に一人は生まれる。なら、うちに来い。うちなら生まれたその時から笑ってあげられる。お前のお前なりの幸せを考えることができる。間違ってもお前を不幸とは思わない。俺らも絶望したり、お前を生んだ事を悲しんだりしない。お前は俺らの「子」なのだから。お前は望まれて生まれて来た「子」だから。けれどもほとんどそうはなりません。うちも、そうでした。妻の顔が、母の顔になる時、生命の神秘を感じます。そして今、「普通」にうまれたうちの二人の子どもは世間の競争に入っています。私も巻き込まれています。そんな「競争」に何か価値があるのでしょうか? 

レイルマン ―自閉症文化の道しるべ―   奥平綾子@ダダ母

著者の奥平さんは、我国の自閉症文化圏では≪ダダ母≫の異名でつとに有名な方です。自閉症を自閉症文化ととらえ、自身の子どもダダ君との日常生活を、ダダ通信としてネット上で公開されたそして、その経験から、自閉症のお子さんへの視覚的支援の工夫をさまざま編み出され、実践されてきました。戸部けいこさんの「光とともに」の題材の一人にもなりました。本編は、ダダ通信に載せられた一部を抜粋加筆、ダダ家の療育として自閉症児への具体的支援策が綴られています。 

光の子がおりてきた ポーラ・フォックス・作/平野卿子・訳/葉 祥明・画

ポールは、弟のジェイコブがいやでいやでたまらない。ダウン症のジェイコブが生まれた日から両親は弟にかかりきり。まるでポールの事など、目に入らないようだった。何をするのもゆっくりで、むかつくジェイコブ。ジェイコブが町じゅうの人に愛されているのを見て、ポールは思う。みんな、ジェイコブが障害を持っているのを気の毒に思って、優しくしてるだけなんだ。ジェイコブの7歳の誕生日。誕生パーティーから逃げ出したポールはおじいちゃんのひとことをきっかけに、ジェイコブが愛される「本当の理由」がわかり始める。 

レイルマン2 ―自閉症文化の愉しみ方―  奥平綾子@ハルヤンネ

レイルマン第2弾。前作レイルマンは著者の思惑以上に、全国を駆け巡りました。それは、ハルヤンネさんが、専門家ではなく、自閉症の子どもの親としての視点を持ちながら、見事なまでの自閉症支援の方法を開示されたからに他ありません。ハルヤンネさんの自閉症の解説や支援の方法は、とてもわかりやすくてツボを押さえています。自閉症文化を理解し、それを愉しむ。文中のダダ君の選択的生活では、自閉症児の自立への糸口が見出せるかも知れません。 
  俺ルール!自閉は急に止まれない  ニキ・リンコ 

「話せば長いんですけど、私たち自閉っ子の振る舞いには、実は大変「浅井ワケ」があるのです!一見不可思議に見える自閉っ子の振る舞いには、ちゃんと理由があった。自閉っ子の伝道者ニキ・リンコが、幼い頃の思い出話を通して、内側から見た自閉文化をユーモアを交えて語る。そうだったのか〜!と目からウロコの一冊!


誕生・幼児編、
保育園編

小学校低学年編
第1話〜第6話

小学校高学年編
第1話〜第6話

小学校高学年編
第7話〜第12話

小学校高学年編
第13話〜第18話

小学校高学年編
第19話〜第24話


小学校高学年編
第25話〜第30話


小学校高学年編
第31話〜第36話


小学校高学年編
第37話〜第42話


小学校高学年編
第43話〜45話
プレ中学校編

こころの二人三脚  自閉症児と級友たち  NHK「こども」プロジェクト

2002310日。東京武蔵野市にある小さな学校で卒業式が行われた。卒業生は63人。そのうち3分の1は自閉症など障害のある子どもたち。そして障害のない子の多くは、中学時代に不登校だったり、授業から取り残されてしまった子たちだった。今までに見たことのない卒業式だった。卒業生は全員、一人ずつ壇上に上がって校長先生から卒業証書を受け取る。「私はこの学校で、授業の夢や、人として大切な事をたくさん見つけることができ、力強い心の支えになりました」言葉をうまく話せない子も、懸命に思いを伝えようとしていた。「あ・り・が・と・う……ご・ざ・い・ま・し・た」心の底から出てくる言葉に胸が熱くなった。 

人間としての尊厳 ノーマライゼーションの原点・知的障害者とどうつきあうか 二文字理明 訳

この本はもともとはスウェーデンで出版された本です。スウェーデンの社会庁が、知的障害者と接する時の手引書として役立つ事を狙って書かれています。ノーマライゼーションという思想も言葉だけは日本社会にすっかり定着した感があります。しかし、その本当の意味がしっくりと私たちになじんできているか疑わしいのではないでしょうか。知的障害者と関わる時、どうしたらよいか。どうすることがノーマライゼーションの思想にかなった事なのか。本書は、施設の中における「知的障害者」と「職員」という関係において検証するというスタイルで追及しています。たとえば「自己決定」「共同意思決定」の原則、「守秘義務」の遵守といった諸原則を示しながら、「職員」と「知的障害者」との関係における「在り方」を明確に示しています。

発達障がい

きっぱりNO!でやさしい子育て−続読んで学べるADHDのペアトレーニング− シンシア・ウィッタム著 門脇陽子訳

この本は世界各国で翻訳されています。文化はそれぞれ違っても、親が毎日やらなければならない仕事は同じです。子どもが、朝起きて、着替えて、朝食をとり、歯をみがき、時間通りに学校に行けるように、また午後や夜には、宿題、手伝い、夕食、入浴を済ませ、適当な時間に眠れるようにすること。どこの国でも、子どもは食べ物に好き嫌いを言い、勉強すべき時に遊びたがり、ティーンエイジャーに近づくにつれ、うるさい音楽を流し、だらしない格好、友だちとほっつき歩き、兄弟喧嘩、家族団欒の場が修羅場になるのも、全世界共通のことです。ADHDをもつ子どもは、他の子どもと比べて、家庭でいざこざを起こしやすく、しかもそれは激しいものになりがちです。ティーンエイジャーに近づくにつれADHDをもつ子どもは、他の子どもより衝動性が目立つようになり、親にとっては大きな心配の種になります。これまでの経験から言うと、思春期への移行を家族全体にとってスムーズなものにする秘訣は、それ以前に、しっかりとした、公正で、一貫性のある家庭のルール作りを設け、最小限でしかも意味のある罰を徹底することにあります。本書のペアトレーニングのテクニックが、日本の家庭の子育ての一助となることを祈っています。 

十人十色なカエルの子 特別なやり方が必要な子どもたちの理解のために  落合みどり

子どもは誰も一人ひとり違っていて、みんなそれぞれに輝きを持っています。ちょっと変わった子・人と違うことをする子・奇抜な発想をする子はよく「個性豊かな子」と言われます。一方で、困った子、聞き分けのない子・わがままな子と言われる子もいます。しかし、このような子どもたちの中には、みんなと同じようにはできないという発達のハードルを抱えている子がいるのです。これらの子どもたちは、もって生まれた困難のために人には計り知れない努力をしながら、不安いっぱいで日々を過ごしています。にもかかわらず、彼らの困難を知らずに、甘やかしている・躾がなっていないという評価を下して、厳しくあたってはいないでしょうか?支援を求めるSOSを、本人なりの方法でたくさん発信しているにもかかわらず…。この絵本に登場するカエルの子どもたちは、一見普通に見えても、発達のハードルのある子たちです。読み進むうちに、そうした子どもたちの抱えている困難を知り、それぞれの困難に対応したやり方の必要性について理解していただけることを願って、本書は作られました。巻末には、これらの裏付けとなる簡単な医学解説もあります。まず、彼らの目線に立って状況を見直すことから皆さんが学び始めることを、本書は期待しています。 

自閉症だったわたしへU  ドナ・ウイリアムズ:著  河野万里子:訳

前作は、自閉症の人が初めて自らの心の世界を描いた書として、世界的に注目され、すでに14ヶ国語に翻訳されている。本書(原題SOMEBODY SOMEWHERE)は、その「自閉症だったわたしへ」を書き上げてからの3年間の軌跡を、再びドナ自身が著したものである。彼女が世の中に向かって、そして自分自身に向かって努力を続け、“こころ”を開いていく姿は、今回もまた圧倒されるほどに素晴らしい。前半では、過去のフラッシュバックや、新たに面接を始めたマレク先生への手紙がところどころに挿入されて、ドナがどのように世界を受け取り、自分との接点を広げていったかが、成長の道標のように示されている。最も心を打たれるのは、苦手な身体的接触を克服しようと、鏡に向かって握手の練習を繰り返し、ついにある日、自分の手は“あたたかい“と発見する場面だろう。その後、「属する」「分かち合う」「愛着を持つ」などの感情を、ドナが一つひとつ見出していくくだりにも、心を震わせられる。 
  自閉っ子は、早期診断がお好き  藤家寛子 

20代になってからアスペルガー症候群と診断された著者。人生はどこからでもスタートできる。悩んでいるその瞬間から、新しい人生が始まっている。世の中に味方は少ないかもしれないが、敵だってあふれているわけじゃない。毎日スローステップ。80年生きられるかもしれない世の中だから、私は26歳からの再スタートを受け入れられた。

妹とバスに乗って  レイチェル・サイモン 著  幾島幸子 訳

姉のレイチェルは39歳。知的障害を持つ妹ベスは38歳。レイチェルは長年つきあっていた彼と別れて以来、成功だけを夢見て仕事に没頭する日々を送っている。かたやベスは生活保護を受けながら、働かずに暮らしていた。ベスは路線バスに乗るのが大好きで、始発から好きな運転手のバスを次々乗り継いでは、夕方まで車内の人たちとおしゃべりを楽しむのだった。離れて暮らし、あまり連絡も取り合わなかった二人。だがベスの突然の提案で、1年間一緒にバスに乗ることになる。始めは「つきあってあげていた」レイチェルだったが、ストレートに愛情を示すベスや社内の個性的な人々と交流するうちに、自分が変わり始めたのに気づき…… 

ぼくのことわかって!アスペルガー症候群 小・中学校の事例と医師からの解説 全国養護教諭サークル協議会:企画

教育現場に届くアスペルガー症候群の本がやっと出た。これが、本書の構成刷りを一読した時の強い印象でした。小・中学校でアスペルガーの子をどのように指導したか、うまくいったこと、挫折したところが、飾り気なく素直に報告されていて、読み手を感動させます。小学生の事例に関わった精神科医本田先生が、第3章にこの障害を詳しく解説し、学校や家族の対応策も詳細に述べられています。告知の大切さにもしっかり触れられています。一番新しい研究によりますと広汎性発達障害者の有病率は1%と言われています。だから、アスペルガー症候群の子どもへの付き合い方を知らずして養護教諭は勤まらない、そのような時代がやってきたと考える必要があります。小・中学校の事例の2例とも、素晴らしい技量と魂を持った養護教諭がその学校にいた、そのことが成功の基盤です。しかし、養護教諭一人ではたいしたことはできません。保健室は、息切れした子どもたちの休息地です。養護教諭は、学校の構成員すべてを上手に巻き込むコーディネーターです。それらの意味で、本書はすべての保健室に備えられるべきものと考えます。 

思春期のアスペルガー症候群   佐々木正美

アスペルガー症候群の子どもは、思春期を迎えると、それまでとは違った悩みを抱えるようになります。思春期は、心身が大きく成長し、確かな自我が芽生える時期。その頃になると、彼らは自分がまわりの子と少し違っていることに気づき、生涯を自覚し始めるのです。友だちうと同じように行動できない。仲間内で使う若者言葉が分からない。異性との接し方に戸惑ってしまう。それらの問題から、彼らは自分がどこか「ふつう」ではない、特異な存在だと考え始めます。その困惑がやがて、発達障害の可能性を疑う気持ちや、まわりの子に対する劣等感、疎外感などにつながっていきます。自分の能力を悲観し、絶望する子もいます。本書では、自己形成が行われる大事な思春期に、アスペルガー症候群の子が劣等感に苦しんだり、自己否定的な考え方に陥ったりしないようにするためのヒントを紹介しています。友達への仲間意識から恋愛感情、そして性欲まで、思春期に子どもたちが直面する、みずみずしく、それゆえに複雑な感情の、受けとめ方のヒントです。

あしたはきっと晴れ  −マオと家族の物語−  あらみなおこ

『あしたはきっと晴れ!』北日本新聞金曜日の夕刊に連載されている漫画のタイトルです。作者はあらみなおこさん。知的障害をもつ、マオちゃんのお母さんです。マオちゃんとのありのままの生活を漫画にし、新聞に連載を始めてから丸2年、今100回を数えている。このたび連載した漫画を一冊の本にまとめ出版されることになりました。マオちゃんに障害があると分かった時のショックは大きかったと思います。しかし、なおこさんは、現実を正面から受けとめ、何事にも前向きに取り組む姿勢がありました。漫画には、マオちゃんの天衣無縫、わが道を行く姿と少しずつでも成長して行く様子や一家の王様マオちゃんと格闘する家族や市域の人達との関わりなどがユーモラスなタッチで描かれています。 
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