マニュアル 障害児のインクルージョンへ 地域の学校でいっしょに学ぶ
                  障害者の教育権を実現する会 石川愛子 宮永 潔

1979
年の養護学校義務化以来、日本の障害児教育は分離主義の制度と政策に固執してきた。世界的に見れば、統合教育(インテグレーションからインクルージョンへ)が推進される中で逆行している。障害児も健常児と一緒に教育を受ける権利がある。また、健常児も障害児と一緒に教育を受ける権利がある。それが当たり前の世界なのではないか。本書は、インクルージョン的な考え方で学校現場での努力や親の頑張り、そしてその実績を紹介する。

いのちを語る手記集
難病と障害を持つ45人の手記 監修 日野原重明  社会福祉法人 ありのまま舎

難病を抱える33名と、難病や障害を抱えた愛する人と生きる(た)12名の手記が、今、「生きる」意味を問いかける。この本は日本中の各地で治療困難な遺伝的疾患や各種の難病を病む患者と患者とともに病む家族、さらには親しい友人たちに、癒しと支える力を与えるものと私は信じている。「巻頭言」より

ノーマライゼーション 研究 1998年版年報  「ノーマライゼーション研究」編集委員会

私たちの言うノーマライゼーションとは国連が1979年に決議した「国連障害者年行動計画」に述べられている「ある社会が、その構成員のいくらかの人々を締め出すような場合、それは弱くてもろい社会である」という考え方を基本にしており、これはすなわち、いかなる形態の差別や偏見も存在させない社会を意味しています。従って、私たちの活動は、このような真の意味でのノーマライゼーションを目指す社会の具体的なあり方、および、それを実現させる方法について、あらゆる分野、様々な角度から研究、解明することをを目指した進められるものです 

どんどん 「障害」って、何なんだろう?  障害児教育 自主教材編集委員会・編

今の社会では、「障害児」と呼ばれている子どもたちは、普通の社会生活ができない子どもと考えられています。そして、その原因は心身の障害にあるとして、障害を少しでも軽くし、「健常児」といわれる子どもに近づけるための特別な専門教育が行われてきました。しかし、この考え方では、少しでも健常児と違ったところのある障害児は、いつまでも欠陥人間扱いを受けることになってしまいます。そればかりか、健常児にとっての障害児は、自分より劣った者となり、関係をつくったとしても、かわいそうな、面倒をみてあげる対象でしかありません。これでは本当の人間関係は作れません。大人たちがいくら「障害児とともに!」と言ってみても、子どもたちの身につかないのは当然です。長い間、私たちは「障害」の捉え方を間違ってきたように思います。この誤りが、現代社会における人間関係をバラバラにしてきた大きな要因です。その結果、「障害児教育」は障害児のためだけの教育と考えられてきました。真の障害児教育とは、「障害」の意味を、すべての子どもたちに問うことではないでしょうか。この切なる思いが『どんどん』を生み出しました。 

しまったぁ 風編 障害児教育創作教材 文・かわの ひでただ 写真・おだ つとむ 絵・にしむら よしひこ

『しまったぁ』の中の作品は、これまでと同じく、実際にあった話を組み合わせたり、創作したりして構成しています。折々に書き溜めてきたものが多いのですが、直接的には阪神大震災によって突き動かされるところがありました。震災直後、多くの市民の日常性が崩壊する中、障害、老齢に関わらず「ひとりの生命」として、共に生きようと行動しましたし、無数の人たちが、「何かをしなければ……」と考えました。それは、普通の日常では推し測れない状況の中で、人間の持つ可能性が表出したのだと考えられます。もちろん、いいことばかりあったのではないことも自明の理です。多くの犠牲者の方々に届く言葉もありませんし、様々な社会システムの矛盾も厳然として存在します。市民の日常性が復活するに従って、あの時一瞬輝いた人としての「やさしさ」も、影を薄めつつあります。しかし、震災の痛撃でノーマライゼーションの成熟を見ました。その芽はこれからも育てていかなければいけません。これらのことを学校に引き付けて考えますと、「普通の学校に障害児がいる」ことは、残念なことにまだ「学校の日常」ではありません。子どもたちは、障害児が友達として学校にいる」日常には反応しますが、「友だちとしての障害児が学校にいない」日常では、「ひと」として自分を忘れることになります。つまるところ、「障害児がいる、いない」に関わらず、障害児を必要とする学校が求められているのです。子どもたちは「ひととして輝く」ためにお互いを必要としているのです。障害児がいるから障害児教育が行われるのではなく、あまねく子どもたちと、それに連なる人間の未来に「人としての障害観教育」が日常のこととして用意されるべきだと思います。 

やさしさの木の下で  ぼくとびょうきとファミリーハウス 文・くすもとみちこ 絵・うえだいずみ

病院の近くに難病の子どもと付き添い家族の滞在施設を作るための「ファミリーハウス運動」を支援していただくために、この絵本は刊行されました。私共、NPO法人ファミリーハウスでは、この絵本の「絵本大使」になって下さいと、皆さまに呼びかけてきました。厳しい治療に立ち向かう子どもと、精神的・経済的なご苦労と闘うご家族の姿を、まず患児の仲間である学校の子どもや先生方に知って欲しいという思いから、この絵本を学校に送るキャンペーンを始めました。 

ホームPOMO障がい総合

みんなの心に生きた 山下 清

本書は、日本のゴッホ・放浪の天才画家などと、数多くの異名のもとに、一世を風靡した山下清。彼の代表的作品を「学園時代」「放浪時代」「晩年」の三期に分け、49歳の生涯を振り返る作品展のカタログです。小学校時代、いつも級友にいじめられた山下清は、その時の苦しみを『八幡学園』に入園してから、日課となった作文に切々と書き綴っています。学園生活に安らぎの世界を見つけた山下清は,花や昆虫を愛し、貼絵に才覚を表しましたが、自然に対するあくなき憧憬は、兵役検査をきっかけに、学園を出奔させることになります。数々の「貼絵」の作品においては、単に、“根気”と“努力”では片付けられない「美」の再現に対する、類希なる「天性」を感じさせます。人々の心を素直に感動させる、山下清の作品こそ、私たちが日常生活の中で忘れかけている、心の潤いを呼び覚ましてくれるものと思います

ブラックジャックによろしく 2  佐藤 秀峰

教授先生、患者が死んで泣いたことがありますか?
循環器内科へと研修を移った斉藤は、不安定狭心症の患者の担当医となった。斉藤はすぐに手術が必要な事実を隠すように命じられ、患者はそんな斉藤に不信感を抱く。「医者とは何か」 この単純で切実な自問から、斉藤の必死の抵抗が始まる 医療界からも驚異的反響を受ける衝撃の医療ドラマ、緊迫の第2!! 

マンガ境界性人格障害&躁うつ病 REMIX 日々奮闘している方々へ。マイペースで行こう! たなか みる

境界性人格障害(BPD)は、本当に治療の難しい病気です。まず、治療者と患者さんの信頼関係を築かないと治療が始められないのはどの病気でも当たり前のことですが、まずそこが難しいのです。信頼してもらうことにまず時間がかかり、その段階でつまずくことがはるかに多いのです。次に、BPDの治療専門書には、「ある程度距離を置きなさい」と書いてあるように、信頼関係を築かないと治療は開始できないし、深入りし過ぎると依存心が強くなり「見捨てられたらどうしよう」という不安がBDPの患者さんの自立する気持ちを遅らせることになってしまうのです。本書は、躁うつ病とBDPを併せ持つ著者の日常と病気との付き合い方を、漫画で紹介する。

障がい総合

エイズと闘った少年の記録  ライアン・ホワイト アン・マリー・カニンガム:著 加藤耕一:訳

ライアンは血友病患者としてこの世に生を受けた。だが小さい頃の彼は自転車にも乗れたし、野球にも挑戦した。彼は血友病であるというハンディを乗り越え、常に彼の言う「普通の子ども」であるべく闘っていたのだ。だが13歳になった時、エイズに感染していることが判明した。彼が「死」を意識したのはおそらくこの時が初めてである。そしてその時から、病気と差別と偏見との闘いが始まったのだ。実際、彼は生きぬくために想像を絶する努力をしてきた。彼がこのように強くいき続けられたのは、家族の支えがあったからである。けれど何よりもライアン自身の、生き抜こうとする意志の強さが「死」や「孤独」と闘う原動力になっていたのだ。 

母さんのじん臓をあげる!   馬場練成 文  岩淵慶造 絵

幼稚園年長組の時、腎臓病と診断された裕子ちゃん。小学校三年生の秋には、ついに3時間もかかる苦しい人工透析に、週3日も通院しなければならなくなります。移植手術をすれば、すぐ治るのです。しかし…… “だれか、私に腎臓を提供してください”裕子ちゃんの悲痛な叫びが、読む人の胸を打つノンフィクション。 

ICF(国際生活機能分類)の理解と活用   上田 敏
人が「生きること」「生きることの困難(障害)」をどうとらえるか

ICFとは、2001年にWHOの総会で採択されたものである。ICFは障害を人が「生きる」こと全体の中に位置づけて、「生きることの困難」として理解するという、根本的に新しい見方に立っている。「健康とは、単に病気がないということではなくて、『生活機能』全体が高い水準にある状態である」本書は、「新しい障害観であるICFを理解し、それを自分たちの毎日の仕事に活かす」という実践的な立場から解説する。 

ブラックジャックによろしく 7  佐藤 秀峰

がん治療に携わる医者の本音を明かそう
かつて“理想”の医療にトライした二人の医師は今、形式的な告知しか行わない医師、抗がん剤を一切使わない医師になっていた。がん患者にとっての幸せをそれぞれの医者が追及しているはずなのに、患者は決して幸せではない。なにも告げられないまま、患者の時間だけが恐ろしい速度で消えていく。斉藤はそれに黙っていられない

ブラックジャックによろしく 5  佐藤 秀峰

日本では欧米で使われている多くの抗がん剤が使えない
辻本良江・ある平凡な主婦が永大を受診する。病名、肝臓がん。斉藤は、小児科を経て、がんを扱う第4外科へ研修の場を移していた。辻本さんへの対応を通じて斉藤が目にしたのは、そんながん医療の現実。そして、第4外科に来る前にわずかだけ所属した小児科の現実。二つの現実が斉藤に教えたのは、システムの制約の中でしか医師は腕をふるえない、ということだった。告知、抗がん剤、転移、再発……がんはあきらめざるを得ない運命なのか。がんを思い、心をさまよわせる。「普通」の人間たちを前に、斉藤に何ができるのか?日本中をうならせる大ヒット医療ドラマ。「がん」を描く

いのちの限り  エッセー集・短歌・俳句・川柳  前田辰男

「病床の四季」に続く第二作目。半世紀に近い闘病生活、今まで無事に来られたのも短文学の支えあればこそである。これからもいのちの続く限り創作活動を続けていきたい。タイトルの「いのちの限り」は、そのような心境を表現したものであり、寿波苑時代から現在まで、こつこつ書き溜めたエッセー・短歌・俳句・川柳を抜粋して一冊にまとめた。 

小さいときから考えてきたこと    黒柳徹子

この頃、小学校1年に入った子が、授業中、ウロウロ歩き回っていて、先生が注意してもちゃんと椅子に座らない子どもが大勢いると新聞に書いてある。私は、そういう風にしていたので、入学から3ヶ月くらいで退学になったのだが、あの時は私一人だった。今の子どもが、なぜウロウロしているのかわからないけれど、あの頃の私にはそれなりの理由があった。自分の事を思い出してみると、かなり自分なりの、感受性とか判断力とかが、あったように思う。今ウロウロしている子どもと同じくらいの子どもって、どんな程度のものか分かると思うので、書いてみることにした。つまり、優秀なこどもではなく、小学校1年生で退学になった子の考えていた事が、こういうことだった、って。

ミックスジュース 唯野由美子・作 長新太・絵

どんなことがあっても いつだって、ちゃんと夜が明けて、朝がくる
イッチャン、カズマ、ムーたれ、そしてぼく けんかして、サイアクのことだってあるけれど
ぼくは信じられる

ちゃんと朝がくるように

逆光の中の障害たち  ―古代史から現代文学まで―  後藤安彦

ここに1冊にまとめられた話は、もと『月刊障害者問題』に「歯ぎしり講釈」として連載されたものである。歯ぎしりの歯ぎしりたる所以は今さら解説するまでもあるまい。この書の冒頭が、日本に生まれた最初の人間が障害者でありながら、葦舟に乗せられ流されてしまったという『古事記』の「蛭子」の話である事を見ただけでも充分であろう。講釈の方も、さすがに数ヶ国語を修得し、それを生業に使っている著者だけに、時間、空間を自在に渉猟し、選び抜いたものへの講釈であるから、なみの思いつきの談義ではない。古代神話世界、中世説話世界、近世歴史世界。そして近・現代の文学世界にあらわれた障害者像への講釈は、そのまま障害者の受難史であるとともに復権史を語るものでもある。 

人格障害をめぐる冒険  大泉実成

その言葉は90年代初め、宮崎勤を説明するためにメディアが華々しく登場した。そして麻原彰晃、酒鬼薔薇聖斗、宅間守と、了解不能の事件が起きるたびに多様な文脈で使用されてきた。反社会性人格障害、自己愛性人格障害、妄想性人格障害……。だがこんなラベルが貼られて片づけられても、事件そのものの形は依然として立ち尽くしたままだ。「人格障害」という言葉に人は何を背負わせたがっているのか。人間理解への手がかりか、封印し排除するための装置か。社会や時代のひずみを映し出す陰画のようなこの言葉の使用をめぐる、異色のノンフィクション作品。 

わすれられた命の詩  ハンセン病を生きて  (こだま) 雄二(ゆうじ)

今ではもう、ハンセン病を知る人は少なくなりましたが、この病気は昔「らい」と呼ばれ、症状が顔や手足に醜く現れたり治療薬がなかったことから「天のたたり」とまで言われ、ひどく嫌われた病気です。私は7歳でこのハンセン病にかかり、政府の隔離政策や世間の偏見によって故郷を追われ、本名も家族もなくしてしまいました。この本は、そんな私の少年期と病気につぶされながらも必死に生きようとする人々の姿を綴ったものです。

かちむかッ ぐさッ  ●対人トラブルの心理学  品川博二

この本の題名「かち むかッ ぐさッ」とは、対人ストレスにさらされている私たちの耐性が、そろそろ限界に近いことを教える注意信号です。この「かち むかッ ぐさッ」が、私たちの体内でしばしばけいけんされているとしたら、私たちは現在の心的状況について検討する必要があります。「かち むかッ ぐさッ」を体験させるのは、「不快な他者」です。私たちはこの他者と付き合うことがとても苦手です。私たちはしばしばこの他者から逃げ出すか、我慢するか、あるいは攻撃します。いずれにせよ、この「かち むかッ ぐさッ」の対人ストレスは、対人トラブル(人間関係の障害)になってしまいます。対人トラブルによって私たちは、他者を恨み、自分を悔やみます。その結果、自分も相手も出口のない迷路をさまようことになるのです。「かち むかッ ぐさッ」の対人ストレスを検討することで、私たちは自分の弱点や不備な側面を知ることができます。そして弱点や不備な面を隠す為に、いかに自分が無駄なエネルギーを消費していたか驚くでしょう。対人ストレスの状況を適切に整理すると、「かち むかッ ぐさッ」の体験は自分の新たな可能性をクリエイティブに開いてくれるのです。

わたしはあきらめない 国松俊英・作 藤本四郎・

高校2年でオリンピックに出場し、日本競歩の星として期待された板倉美紀選手。練習中に大事故にあい、瀕死の重傷をおってしまった。再起不能と言われたのに、勇気とあきらめない心で、みごと復活をとげる。ひたむきな努力の日々を、鮮やかに描きだす。 

乾 千恵の書の絵本 月 人 石 乾 千恵 書  谷川俊太郎 文  川島敏生 写真

扉…こころのとびらをあけてごらん   猫…おもいでのなかの ねこ 
風…かぜがきのうをきょうにつなぐ
   音…きこえる? とおいおと ちかきおと 
馬…いのちははしるどこまでも     影…かげをつくるのは ひかり

水…みずはほとばしり ながれ よどみ 石…いしも いつか すがたをかえる ……

患者よ、がんと闘うな   近藤 誠

本書は、「文藝春秋」誌上に19952月号から10回に渡って連載した、「あなたがガンになったとき ガン最前線を行く」に加筆してまとめたものです。その連載を始めてみると、各界から大きな反響をいただき、私自身、あれも述べたいこれも書きたい、という気持ちになっていきました。がんやがん治療に関して世の中には、ある種の常識とか社会通念があるように思われます。たとえば、がんは怖い、がんなら手術や抗がん剤、がんで死なない一番の近道は早期発見・早期治療、そのためにはがん検診が必要、などです。本書では、それら常識ないし通念に徹底した検討を加えました。そして出てきた結論は、手術はほとんど役に立たない、抗がん剤治療に意味があるがんは全体の1割、がん検診は百害あって一利もない、などです。 

きみの こころの あじがする  え 村田清司 ことば 田島征三

信楽青年寮の村田清司さん(ダウン症)の美しい絵に、画家 田島征三さんのあたたかい言葉がそえられた、“やさしい詩画集”子どもから大人まで楽しんでください

リアル(RIAL)  井上雄彦

自身の引き起こしたバイク事故で高校を中退、他人に一生残る傷を残してしまった罪に苛まれる野宮朋美。
車椅子バスケットボールの有力選手でありながら、我が強くチームメイトと上手くいかずにチームを抜けた戸川清春。自尊心が強く、交通事故で下半身不随になった事を受け入れることができない高橋久信。
それぞれが向き合うREAL(現実)とは……。200110月より毎年発刊。現在8巻が刊行(200810月現在)

野宮朋美(のみや ともみ)

18
歳、男。風貌は強面だが、思った事は逡巡せず口に出す明るさを持つ。高校(西高校)でバスケットボールに打ち込んでいたが、退部する。その後に素行が荒れ、偶然ナンパした山下夏美を乗せたバイクで交通事故を起こす。それを遠因に高校も退学。自分が原因で夏美の人生を狂わせたという罪の意識に苛まれるが、戸川清春と出会ったことで自分を変えようと行動し始める。しかし生来の粗暴さゆえにどのバイトもクビになり、やっと自分の居場所を見つけた引っ越し業者の仕事も数ヶ月で会社が倒産してしまう。その後、バスケチーム「東京ライトニングス」へのトライアウトを目標に特訓を開始する。母親が頻繁に旅行しており、何かとそのお土産を人に渡す癖がある。ちなみにその母親本人は今のところ本編には未登場。

戸川清春(とがわ きよはる)

車イスバスケットボールに打ち込む19歳の少年で、勝気かつ繊細な性格。キャップとパーカーがトレードマーク。野宮には「車イス界のヴィンス・カーター」としてビンスと呼ばれる。10代初期に母を亡くし、それ以後父子家庭となり、父からピアノを教わりながら育つ。中学生時代には陸上部に所属し、全国大会決勝まで進んだ短距離選手だったが、決勝レース中に骨肉腫の症状が悪化。その後ローテーション手術(回転形成術)を適用した頸骨骨肉腫切除の為、右膝関節から下を切断。車イスで生活している。車イスバスケチーム「タイガース」に所属しており、高い実力を有するも向上心があるが故に我が強く、チームメイトと折り合いが付かず、一時的にチームを離れていた。野宮朋美と出会った事で、自分とチームを変えよう行動を起こす。この後、車イスバスケの日本代表に選ばれる。

高橋久信(たかはし ひさのぶ)

現在18歳(3巻〜)。野宮朋美の高校の同級生。自らを「Aランク」とした上、周囲の人間をランク付けして俯瞰するなど、プライドが高く傲慢な面を持つ。努力を要しないで何事もこなせる器用さがあり、学業成績・運動能力・容貌とも優れていた為周囲から一目置かれる存在だったが、出来心で自転車を盗んだ末の事故に遭い、脊髄を損傷して下半身不随になる。損傷箇所は胸椎の7番。苦しみながら徐々に現実に向き合っていく。

砂の音はとうさんの声  赤座憲久:作  鈴木義治:絵

戦争の始まった頃に子ども時代を過ごし、戦争の激しくなった頃、勤労学徒や学徒兵を体験した私は、まだまだいくつもの戦争の話を書かねばなりません。それは、私たち戦争を体験したものの責任だと思うのです。言われた事をそのまま信じ、命令された事は、すべてもっともな事だとしていたのが、戦争中のほとんどの日本人でした。戦争に勝つための事だけが、戦争中の日本人の務めだったのです。戦争のさなか、子どもたちは学校どころではありませんでした。若者は、国のために喜んで死ぬように仕向けられました。私も爆薬を背負って、敵の戦車の下へ飛び込む訓練を受けました。足りなくなった食べ物を補うために、どこの学校も、運動場を畑に開墾しました。しかし、戦争が済むまで、岐阜市の長良小学校は、運動場に子どもの遊び場を残しました。その時の校長が、今、私たちのやっている児童文学雑誌「コボたち」の長老です。先生は軍人に怒鳴り込まれても「子どもの遊び場は残しておこうよ」と、平気な顔をしておられたそうです。また、私が学徒出陣の時「国のために立派に死ね」と、多くの先生方に励まされましたが「命は大事だぞ」と、硬く握手をしてくださった先生がいました。 

最重度・重複障害児 かなこちゃんの暮らし 武壮隆志 北村佳那子

僕がカメラマンを志したのは2年間勤めていた福祉作業所を退職した20歳の時だった。小さな雑誌社の仕事の中で、大阪市平野区にある学童保育所「子どもジグソー」と出会った。一人の少女との出会い。彼女の名前は北村佳那子ちゃん。「ウィルス感染後遺症」による重い障害のある女の子である。養護学校から地域の学校に転校。彼女と彼女を取り巻く人々の魅力にひかれ、小・中・定時制高校と彼女の姿を写真とビデオに収めた。本書で、かなこちゃんの様な障害のある人が、地域で、そして普通学級で過ごす姿を少しでも伝えたい。 

詩集 旅の空 四季折々   こうばた このむ

田舎の段々畑、棚田、小川、ため池、里山の神社、お寺の境内、何処にいても子どもの声が聞こえ、声の先には子どもたちが見え隠れしていた。私が、そんな野山を駆け回っていた頃から、もう半世紀が過ぎ去っている。「その間、おまえは何をしていた」と聞かれれば、「好むと好まざるとに拘わらず、多くの人に会い、多くの人との別れの旅だった」と答えるだろう。時代という流れに流される旅。「俺は生きているんだ、生きてやる」と、肩肘張って流あれに溺れまいと無鉄砲もやった。肩肘張る生活に疲れ倒れて生死の境をさまよっている時、何処からかかすかに「生きているんじゃなくて、生かされているんだよ」と、そんな声が聞こえて来たような気がして、肩がすーっと軽くなった。旅の途中、いつか来るであろう旅の終わりに思いを馳せながら、日常を見つめると、春夏秋冬、命ある自然が脈々と息づいて、私の郷愁や好奇心をくすぐってやまないのだ。 

ママ、ごめんね −あっ子ちゃんの日記−  植木亜紀子:著  植木 誠:編著

3歳で急性白血病と分かり、苦しい病との闘いの中でも、笑顔を忘れず、同じ病気のチイちゃんを励まし、一郎君を元気づけ、多くの人に喜びの種をまき、短い一生を美しく閉じた、5歳の時から綴っていたあっ子ちゃんの日記。大学ノート9冊分のつぶやきは、多くの人の心に、愛のメッセージを語り続け、励ましを与えている。友情とはどんなことか、思いやるとは、どうすればよいか、生きるとは、なんと素晴らしいことかを、読む人に、深く感じさせないではおかない。

いつもずっとそばにいて −シーナは介助犬−  岸川悦子

社会から断絶して、一人で閉じこもって生活しているれい子さんの家に1人、2人と、障害者が集るようになりました。彼、彼女たちは普通に生きることの困難さを語ります。1人では何もできない苦しさを語ります。特に外出中にトイレに行きたくなった時の辛さを話します。10人の人にトイレ介助をお願いしたが、誰も協力してくれなかった。仕方なく病院に入り、看護師さんにお願いするも、忙しく患者でもないのでいやな顔をされた。「でも、無理ないや。私だって、見ず知らずの人にトイレの介助を頼まれたら、やっぱり断るかもしれないもの」車椅子に乗っていて、何かのはずみでめがねを落としてしまった。めがねがないと何も見えないのだが、通行中の人に「拾ってください」と言いにくかった。エレベーターのボタン、道の段差、買い物にも手が使えない、障害者の自立は無理なのか。それが、介助犬との訓練のためにアメリカに渡り、介助犬ブルースに会うまでのれい子さんでした。しかし、ブルースとの三ヶ月の訓練も終わり帰国。れい子さんは、日本で介助犬を育てることを決心する。そして、8ヶ月のラブラドールのシーナとの出会い…。 

父親になったジョナサン R・サンチェス・文 C・シュナイダ―・写真 上田勢子・訳

この本は、HIVに感染しながら元気に成長し、父親になったジョナサン・スウェイン君のことを写真と文で編集したドキュメントである。僕はこれまで、決して楽な人生ではありませんでしたが、元気に生きています。僕は今とても幸せです。結婚できて、家庭を持てて、こんな幸せな事は在りません。そして何より大事な事は、赤ちゃんがエイズでなく健康に生まれてきたこと、妻のアンバーが健康であることです。これは、僕にとって偉大な軌跡です。どんな不幸だってあり得たわけですから。神の恵みとしか言いようがありません。 

さよなら エルマおばさん   写真・文 大塚敦子

この本は、エルマおばさんが、ガン(多発性骨髄腫)の告知を受けてから亡くなるまでの日々を、愛猫スターキティの目を通して語っています。猫の見たおばあさんの姿を、カメラのレンズが捉え、死が訪れるまでの身体の変化を、とてもリアルに写し出しています。写真を見ると、エルマおばさんが日毎に弱っていく様子がよく分かります。死を意識したエルマおばさんが、「リビングウィル」(終末期医療の受け方の意思表示文書)に署名し、身辺整理を行い、親しい人に別れを告げる様子も伝えています。エルマおばさんが人生最後の時をこのように過ごせたのは、アメリカでは、一般的にガンの告知が行われていて、自分の病状を認識できるからです。 

ともだちになろうよ! HIVとともに生きるこどもたちの声 ローリ・S・ウィーナー他 小島希里:訳

HIVに感染し、エイズを発症した子どもたち。最先端のエイズ治療を行うアメリカ・メリーランド州ベセズダの国立癌研究所では、幼い患者とその兄弟たちが正直に気持ちを表現できるよう、人形劇や物語作りなど、さまざまな方法が試みられてきました。本書「ともだちになろうよ!」の絵や文章は、その試みの一環として書かれたものです。治療に取り組む子どもたちは、様々な困難に直面しています。つらい治療。病気のことを知った友達からの仲間はずれ。友達の死。そして、死への恐怖。不安は、患者本人だけではなく兄妹たちにも広がっています。病気を秘密にしなければならない緊張感や、誰にもかまってもらえない孤独感。大好きな家族を失う不安。子どもたちは、訴えかけます。『私たちを、怖がらないで。ともだちになろうよ!』と。

病床の四季  短歌・俳句・詩・川柳    前田辰男

著者は昭和9年3月大阪生まれ。青年期上京するも病に倒れ帰阪。多発性急性関節リュウマチと診断されて即入院。経済的理由で2ヶ月余りで退院、母の介護を受け7年間家庭療養生活を送る。昭和33年、別府市の国立重度障害者センターに入所、母を介護から解放できた事が何よりの救いだった。入所して間もなくクラブで川柳を作り、その魅力に魅せられ没頭していく。短歌・俳句・現代詩と独学で創作活動を広げ新聞に投稿。寝たきりの状態でも毎日充実した時間を過ごせるのも短文学のおかげである。本書は、病床から見る四季の移り変わり、それを日記のように書きとめたものである。 

さかさまの星座 ふれあいキャンプの仲間たち  石田 易司

アサヒキャンプは、1953年、日本で最初の一般に開かれた組織キャンプ場として、生駒山上にオープンした。プロのキャンプ長としての僕たちと約50人の学生ボランティアのキャンプカウンセラーが、一緒に企画し、計画を練り、運営に携わってきた。学生たちはあくまでボランティアだから、自分の意思で参加してくる。上級生教わりながら1年生は4年間活動し、また新しいメンバーを育てていく。こうして30数年がたった。約500人の青年たちが自然と仲間を愛し、社会に巣立っていった。その間、一人の人身事故も起こさず、さらに、小児ぜんそく児などの病弱な子どもの治療キャンプや知的障害児・身体障害児の療育キャンプを行ない、多くの成果を挙げてきた。アサヒキャンプはそんなキャンプ場として、ちょっと知られたユニークなキャンプ場である。

みんな一緒に学校へいくんや  「普通」学級で学ぶ「障害」児教育の実践 大阪・15教職員組合連絡会:編

1980年初版発行。養護学校が義務化されて間もない頃、障害児と健常児が一緒に学ぶことにこだわった先生方のドキュメントです。すべての「障害」児は校区の「健常」児と共に生活し、学びたいという意欲を持っており、その中でこそ初めて、当たり前の成長を遂げることができるのだという指摘は、教育労働者にとって、過去の教育論、教育実践を根底から覆すほどの重みと中味をもって迫ってきたと、私は正直に告白せざるを得ません。私と障害児教育との出会いは、洋ちゃんのお母さん、梅田和子さんとの出会いから始まりました。彼女が、洋ちゃんを「普通」の学校に入学させるために、どのような努力を学校や教育委員会にしたのか、そのためにはどんな条件を呑んでも、実現させるのだと決意したのだということか、洋ちゃんは自閉症児が「普通」学級に入った初めての子どもであるがゆえに、地域の子どもや保護者の理解を得るためにどんな努力をしたのかという淡々とした話しぶりは、私の足をガクガクと震えさせるほどの迫力のあるものでした。 

4アウト ある障害者野球チームの挑戦 平山 譲

突然の病気や事故、生まれながらの障害という仮借のない現実にぶつかりながらも、精神世界の孤独な闘いを経て、這いつくばるようにグラウンドにたどり着く。そして生きがいを獲得して試合や社会に挑んでゆく過程で、鮮やかに輝き始める。彼らがどのような思いで、どのような事をなそうとしたのか、その心のありさまを探求した4年間の記録である。

あなたが守る あなたの心・あなたのからだ   森田ゆり 作  平野恵理子 絵

私は、日本で生まれて育ちましたが、大人になってからは、20年もの長い間、外国で暮らしました。そして、色々な国のたくさんの子どもたちと親しくなりました。グアテマラの戦争で両親を亡くした子ども。メキシコの地下で暮らす子ども。アメリカ・インディアンの子ども。みんな、辛いこと、悲しい事がたくさんあるのに、元気に一生懸命生きる子どもたちは、私に、大切な事を教えてくれました。それは、どんなに苦しい事、怖い事があっても、それをはねのけて生きる力を、子どもたちは誰でも持っている事です。そしてその為には、周りの大人や、友達の力が必要だという事です。日本にも、いじめを受けたり、大人からバカにされたり、殴られたりして、辛い思いをしている子どもがたくさんいます。日本では、勉強のできる子やスポーツのできる子が大切にされがちでが、それっておかしいと思いませんか。子どもは誰でも、一人ひとりみんな、特別な人間です。どの子もみんな大切な心の力を持っています。“安心・自信・自由の権利”=心の力を優しく語る一冊。 

おねいちゃん  村中李衣:作  中村悦子:絵

私は、来週、この病院を退院する。今朝、洗面道具と下着とほんのわずかな洋服を残して、身の回りのものを片付けた。来た時は、スポーツバック一つで間に合ったのに、いつの間にか、段ボール箱を上から押さえないとガムテープが貼れないほど、荷物は増えていた。昼に父と玄関前で待ち合わせをしていた。前の中学校へ行って、校長先生と生徒指導の大橋先生に、三年からまた通いたいと、話をしに行く事になっているからだ。父との約束の時間より少し早く病棟を出て、病棟裏の松林に向かった。風はまだ冷たかった。ざわざわと体をゆする松の間に、横に細く長く光を伸ばして光る海があった。
〜最終章 もういちどより〜
 

あっ、そうかあ 障害児教育創作教材 文・かわの ひでただ 絵・にしむら よしひこ

この創作教材の下敷きには、障害児教育自主教材「どんどん」が切り開いた障害の意味の世界を、もっとひろげられればいいなという想いがあります。その意味では、子どもたちやそれを取り巻く大人たちを、見たものや触ったものしか信じないといった狭い世界から、想像する世界、」好奇心の世界へ誘うための一教材なのです。障害を持つ人の内面、持たない人の内面にお互いに心の触手を伸ばしてみてください。分かろうとすれば、知らなかった世界の実像を手に入れることができる驚きを発見します。

イルカがくれた奇跡 障害児とアニマルセラピー カタリーナ・ツィンマー 今泉みね子訳

主人公はヤスミンとリザという二人の女の子、そして彼女たちのために、人間のセラピストができなかったセラピーを成し遂げたイルカたちである。
自らも障害児を育てた経験を持つ著者は、これら「障害児」とイルカとの感動的な触れ合い、驚異的ともいえる「イルカセラピー」の成功の様子を、心細やかに、感情豊かに伝えてくれる。

詩集 種をまく人  玉本 格

1999117日、震災から4年が過ぎた。今もそれを引きずったまま、苦悶する声も上げられぬ被災弱者と、年末の500万人を超す「ルミナリエ」の見物客。怒りでもない。諦めでもない、複雑な思いの中で、また117日を迎えた。震災から学んだことを忘れない為に、この日に、ボランティアグループを株式会社として登記設立、昨年は「街のイスキア」をオープン。そして今年は、玉本 格氏の詩集を出版させていたいた。あらゆる分野で根源的なパラダイムの変化が迫っている。これまでたくさんの人が種を蒔いてきた。玉本 格氏も教育者として、よき種を蒔き続けてこられた方の一人である。後に続くものとして、私たちはその種を大切に育んでいきたい。遠くない未来、私たちの子どもたちが、その実を収穫してくれるだろう。

生きてこそ光り輝く  19歳養護学校から女流棋士へ  石橋幸緒

ビシッ−将棋の駒の音が鳴り響く。ここは東京都千駄ヶ谷にある将棋会館の4階だ。私は今、女流プロ棋士として戦っている。生まれたときのことを考えれば、今、この時を生きて、こうして好きなことに出会い、自分という人間を表現できる場所にいるということ自体、とても想像できなかった。私は、生後すぐに3度にわたる大手術をし、小学校から高校を卒業するまで養護学校に通っていた。その間にも入退院を繰り返した。養護学校の小学部に入学する時は、身長100センチ足らずで、体重も10キロ。そんな私が9歳の時に偶然将棋と出会ってから、母と二人三脚で頑張ってきた。つらいこともあったが、周囲の人々のお陰で私の人生はいつも希望に満ち溢れていた。いつだって前を向いて生きてきた。そして1993年10月には、女流プロ棋士になることができ、1999年6月には、初のタイトルとなる「女流王将」を獲得することができた。また、その年、最も活躍した人に贈られる「最優秀女流棋士賞」も思いがけずいただけた。私の夢はまだまだ先がある。−人生の夢を乗せて明日への一手を指す− 

さわってごらん、ぼくの顔   藤井輝明

1957年、東京都国立まれ、熊本大学医学部保健学科看護学専攻教授。医学博士、看護師、行政書士。顔に病気や傷などを抱える人たちに対する差別・偏見をなくすために、講演活動を続けている。
僕の顔の半分には、赤く腫れたアザがある。その為に、子どもの頃から、たくさんの辛い思い、悔しい体験をしてきた。それでも僕は、この病気を短所ではなくて、一つの個性だと思っている。血管腫があるからこそ、数えきれないほどの出会いがあったし、これからも新しい出会いがある。お互いの個性や違いを認め合う事は、とても大切な事だ。僕は少しでも多くの人に、顔に病気を抱える人の気持ちを理解してもらいたい。これからもいろんなところで語っていく。僕だからこそ果たせる役割が、社会にはあると信じている。
 

わんぱくタイクの大あれ三学期  ジーン・ケンプ:作  松本亨子:訳

主人公のタイクは大嫌いな本名と、世の不公平に悩んでいます。本名は終章ではじめて明かされ、まるで推理小説のようなどんでん返しの意外さに驚かれるでしょう。この世の不公平もタイクには大問題です。家では母親は自分ばかりに用事をいいつけ、兄のスパッドには何もさせません。学校では親友のダニーのために良かれとやったことが裏目に出て、いつもひどい目に会うのはタイクです。言語障害と少し知恵遅れのダニーは、天使のような顔のせいで、何かにつけて得をしています。一方タイクは、ダニーが盗んだお金を元に戻しておこうと苦労をしたあげくに、校長室に呼ばれたり罰を受けたり散々です。それにもかかわらずダイクがダニーの頼みごとを断れないのは、ダニーが気の優しい子で面倒をみてやらないといけないと思っているからです。障害のせいでダニーが特殊学級に行かされそうになると、タイクはダニーの成績を上げようと学力テストの問題用紙を盗んでしまいます。はからずも終始ごたごたを起こす結果になったタイクの三学期が、コミカルに語られながら障害児問題や、大人が望む子ども像などについて考えさせられる作品です。 

ぼくはジョナサン…エイズなの  ジョナサン・スウェイン シャロン・シーリング:著 山本直英:訳

いま、人類に新しい挑戦をいどませたエイズは、感染した者も、していない者も含めて「人間としての生き方」や「人間とのふれあい方」を問いかけ、私たちに揺さぶりをかけています。そんな時に、この本のジョナサンは、まるで天使のように私たちに大切なメッセージを送ってくれます。「エイズとはどんな病気なのか」「どうすれば感染しないのか」「感染者とどのように共生していくのか」はもちろんのこと、エイズの多発状況にあって、「いったい自分とはどういう人間であるのか」さえも見つめさせてくれます。この本は、アメリカでは、幼稚園から小学校6年までを対象にしたもので、各地の学校と家庭で副読本として使われています。写真に見るように、自分たちと同年齢の少年が、子どもたちに分かりやすく語っていますから、大人からの注意や話よりどんなに子どもにとって親しみやすくい役立つか分かりません。単に科学的な説明やデータの紹介ではなく、ジョナサンの日々の心情を通して、こんなにも身近にエイズを見つめられる本もありません。 

妻を帽子とまちがえた男  オリバー・サックス    高見幸郎 金子泰子・訳

病気について語ること、それは人間について語ることだ。妻の頭を帽子と間違えてかぶろうとする男。日々青春のただなかに生きる90歳のおばさん。記憶が25年前にぴたりと止まった船乗り。頭がオルゴールになった女性……。脳神経に障害を持ち、不思議な症状が表れる患者たち。正常な機能を壊されても、彼らは人間としてアイデンティティを取り戻そうとしている。心の質は少しも損なわれることがない。24人の患者たち一人一人の豊かな世界に深く踏み込み、世界の読書界に大きな衝撃を与えたすぐれたメディカル・エッセイ。 

バリアフリーの生活カタログ  E&Cプロジェクト

21世紀は、「ユニバーサルデザイン」という理念のもとに、バリアフリー社会を実現することが望まれています。それには公共機関、公共サービスのバリアフリー化や障害者向け施策にとどまらす、社会全体を「共生」「誰もが暮らしやすい」をキーワードに再構築することが必要です。そのためには、私たち一人ひとりの価値観として、ライフスタイルそのものとして、バリアフリーの考え方が根付いていかなければなりません。それはまだ端緒についたばかりです。本書は「もの」「ひと」「まち」の視点から、「バリアフリーとは何か」を具体的に示すことを意図しています。「もの」の視点では障害者向けの「専用品」ではなく、障害のあるなしに関わらず誰もが使いやすい「共用品」の考え方を提案します。

童話「走れ!ひまわり号」  岸川悦子・作  狩野富貴子・絵

旅をしたい、海を見たいと思っても、病気のゆかたちはどこへも行けません。そんなゆかたちに、ある日、素敵なプレゼントが……。「宇宙の永い歴史の時間の中で、地球という美しい星の一瞬の時間を共有している私たちは健康な人も病気の人も、体の不自由な人も、みんな平等なのですね」と、私に話しかけてくれた歌手の刀根麻里子さん。障害者と健常者が共に生き、幸せな社会を目指そうという願いを込めて、1982年に上野から日光間を走ったのが第1号。今、「『ひまわり号』を走らせる運動」が全国に拡がっている。 

やったネ(人権啓発絵本) 学校に吹く風と流れる雲 「しあわせってなんだったけ」パート8文・河野秀忠他 絵・西村吉彦他 写真・三浦麻紀

「人権とは何か」との問いに、私たちは、「人の心、命」と答えます。心が歪んだり、傷つけたり、傷つけられたりしている事を、きちんとし受け止め、幼い魂の中にあるコスモス(宇宙・世界)と繋がる事を求めます。一人の子どもの不自由はすべての子どもたちの「心と命」を不自由にしています。当たり前の「命」を育むのに専門家が必要なのかと問いながら、もし必要ならば、どのようにして、その場面を作るのかと探りました。建て前を撃ち、微笑する人工呼吸器をつけた風雲児たちの嘘偽りのない姿を、世界と時代に発信します。「知の悲しみ」という言葉があります。しかし知らなければ、あなたの、わたしの、みんなの明日へ行けないという実感があるのです。

ブラックジャックによろしく 10  佐藤 秀峰

容疑者は都内の精神病院へ入退院を繰り返していました
斉藤のもとで順調に回復を続ける統合失調症患者・小沢は、院内で出会った女性患者に恋をした。その時、病院の外で凶行が起きてしまう。児童大量殺人……犯行は小学校の教室で行なわれた。小沢・伊勢谷・門脇そして斉藤……彼らは一つの大きな濁流に巻き込まれていく。濁流の名は「精神病弾圧報道」 日本中をうならせ続けるリアルな医療ドラマが渾身の力で描く精神障害とマスコミ報道の真実! 「ニュース」は何のためにある? 

いたいなぁ  障害児教育創作教材 文・かわの ひでただ 写真・おだ つとむ 絵・にしむら よしひこ

この絵本を書いた僕は、今年(2001年)で59歳になります。僕が学校に通っていたのもずいぶん昔のことになりました。その頃の子どもたちの姿や学校の姿は、今の学校や子どもたちとはずいぶん違いました。学校には友達がたくさんいました。けんかする友達、イジメルる友達、勉強を教えてくれる友達、笑ったり泣いたりする友達、野球やチャンバラごっこをする友達、「障害」をもつといわれる友達も普通にいました。教室には、おしゃべりと笑い声があふれていて、僕のすべてが学校にあったといっても過言ではありません。だから僕の思い出の中の学校は、とても騒がしいところです。ところが、僕が外側から見ているからかもしれませんが、今の学校はとても静かなように見えます。あまり騒がしくないのです。そこに僕の心は引っかかるのです。騒がしくないのは、元気がないからではないでしょうか。元気のない学校はだめなんじゃないかと、50年前の僕が叫んでいます。学校で起こるさまざまな出来事は子どもたちの栄養です。もしその栄養が、行方不明になっているのなら、皆さんがそれを作り出せばいいのです。この絵本はそのための「ひっつき虫」です。 

ブラックジャックによろしく 9  佐藤 秀峰

精神科……そこで何が行なわれているか私たちは何も知らない
「精神障害者」のイメージとは? 怖い、気味が悪い、何を考えているかわからない、近寄ると危ない、野放しにしておくと犯罪を犯す……すべてウソです。永大精神科に研修を移した斉藤は、入院患者・門脇の担当医となる。しかし、門脇は患者ではなく、取材のために精神科に「体験入院」するベテランの新聞記者だった。門脇と彼の取材を許した指導医・伊勢谷には一つの計画があった! 精神科編開幕! この国で初めて「統合失調症」のすべてが描かれる!! 

ブラックジャックによろしく 8  佐藤 秀峰

私達は誰も独りなんかじゃない
死とは一体なんなんですか? 死は敗北ですか? 死は絶望ですか? 死とは不幸で否定されるべきものでしかないのですか? 絶望の先の希望を知った一人の平凡ながん患者。その最後の数ヶ月……激烈な「生」に斉藤は歩を共にする。がん医療編。感動の完結 

あっ、なぁんだ 障害児教育創作教材 文・かわの ひでただ 絵・にしむら よしひこ

多くの方々のご推薦をいただいて2年前に世の送り出した「あっ、そうかぁ」は、多くの学校で実践という試験をクリアしながら、ずいぶんとたくさんの子どもたちの手元に届けることができましたし、その流れは現在も続いています。「どんどん」では、学校で使っていただくヒントとしてマニュアルを併せて製作、「あっ、そうかぁ」では、思い切って自由に使っていただくためにマニュアルの類は作りませんでした。しかし、それではどうも不親切で多くの問い合わせもあったことは事実です。そこで、この本では、各作品の末尾に作者の想いにつながるヒントらしきものを付け加えました。 

ブラックジャックによろしく 6  佐藤 秀峰

この人は何も知らずに死んで行くんだ……!!
「大丈夫」「がんが治った人は、がんと闘った人です」医師・庄司の言葉だけを信じて、辻本は激しい副作用に耐えていた。彼女は、自分のがんの完治の確立も治療の選択肢も、そして医者の言葉の真意も、何も知らない。現実に苦しむ斉藤を「大人」にしようとする庄司は、昔話を始める。なぜ医者は告知を嫌がるのか。告知の先で医者は何を思うのか。庄司にそれを教えてくれた患者の昔話を……。これが、この瞬間も日本中で行われている日本の「がん治療」だ. 

ブラックジャックによろしく 4  佐藤 秀峰

生まれた赤ちゃんはダウン症だった……
その双子は4年間不妊治療を続けた結果の待望の我が子……のはずだった。突然に障害児の親となった田辺夫妻は、我が子をこのまま死なせてくれと斉藤と指導医・高砂に乞うた。説得できなければそれも仕方ないとする高砂に斉藤は反発する。親が我が子の命を決定する……それは許されることなのか?何が親を支配し、何が高砂にそう思わせる?新生児科と日本の現実に斉藤が熱くなる 

他人をほめる人、けなす人  フランチェスコ・アルベローニ  大久保昭男訳

今日という時代は、絶対的な価値基準が失われ、善と悪の境もかすんで、生きるに心もとない、不安な時代である。こういう時代に生きる我々に対して、本書はまさに格好の指針を提供してくれる。何か不安を抱く時、友人との角質に悩む時、学校や勤務先での人間関係の煩瑣に疲れた時、企業人としてどのように生き、振舞うべきかに迷う時、本書を手にして、任意の一章に目を通して頂きたい。少なくともそこに、一つの理解、人生・人情の機微に通じた著者の言葉を介して伝えられる理解が得られるはずである。

ブラックジャックによろしく 3  佐藤 秀峰

NICU、そこでは正義と現実が命を巡ってせめぎあう
病院に戻ってきた斉藤を待ち受けていたのは、同僚の医師達からの冷たい視線だった。そんな中、新生児集中治療室(NICU)での研修が始まる。わずか900gで生まれた双子の未熟児を担当する斉藤が目にしたもの。それは、不妊治療、未熟児医療、障害、追い詰められていく両親……新生児科医の日常は、医者と両親の悩と矛盾の日々だった。社会的大反響を巻き起こす衝撃の医療ドラマ第3巻。 

モラル・ハラスメント 人を傷つけずにはいられない マリー=フランス・イルゴイエンヌ 高野 優訳

言葉や態度によって、巧妙に人の心を傷つける精神的な暴力=モラル・ハラスメント。家庭や職場で日常的に行われる。この「見えない暴力」は、相手の精神状態をしだいに不安定なものにし、ひどい場合は自殺に追い込むという。いったいどんな人間がこのような暴力をふるうのか?いかなるほうほうがよく使われるのか?どのような性格の人が標的にされやすいのか?どうしてその関係から抜け出せないのか?経験豊富な精神科医がその実態を徹底解明。人間関係に悩むことの多い現代人にとって必読の書である。 

ブラックジャックによろしく 1  佐藤 秀峰

医者って一体、なんなんだ?
超一流の永禄大学附属病院の研修医・斉藤英二郎、月収わずか38千円。同大学卒業から3ヶ月にして、初めて一人で患者を受け持つことになる。研修医・斉藤は理想とかけ離れた日本の医療の矛盾に苦悩しつつも、懸命に日々を送る 連載早々大反響を巻き起こした衝撃の医療ドラマ、堂々と登場!! 

小さいことにくよくよするな!  リチャード・カールソン著  小沢瑞穂 訳

私たちは少し頭を冷やせばなんなく解決する事に、つい大騒ぎしがちだ。ちょっとした問題や細かい心配事にいちいち過剰反応してしまう。たとえば、渋滞の道路で他の車に割り込まれたとする。気にせずほうっておけばいいのに、なんてやつだと怒るのが当然だと思い、頭の中でその相手をやっつける場面を思い描く。そのことが忘れられなくて、後で誰かに愚痴を言う人もいるかも知れない。そんな運転手には、どこかで勝手に事故を起こしていただこう。または彼に同情してみて、そんなに急がなくちゃならない事情と言うのはどんなに辛いものなのか想像しよう。そうすれば自分の幸せを改めて確認できるし、他人のせいで腹を立てる事もあるまい。こんな「小さなこと」は日常頻繁に起こる。「小さいことにくよくよする」事に生命力を使い果たし、人生の楽しみに気づかない人がどんなに多い事か。そのコツさえ身につければ、人にもっと優しくすると同時に、寛容になれるエネルギーが増大する事に気づくだろう。

ルールをやぶれ! サンドラ・グローバー シェリー佐藤 訳 辻野由樹 画

両親との縁も薄く、落ちこぼれで不良のスージーが、老人ホームで2週間課外授業として仕事を手伝ったことを機に、人間として成長していく過程を明るく軽いタッチで描いたヤングストーリー。ホームで知り合った老人たちとの交流から、14歳の少女が「老い」や「死」について考えながらも、そこに自分の居場所を見いだしていく。てに負えないスージーだが、ホームでの労働を通して社会の仕組みやルールについて思いを巡らし、自分自身を発見していく

哲ちゃんの詩  絵 岩下哲士  詩 柳瀬房子

岩下哲士 1969年大阪生まれ。1歳3ヶ月の時に急性小児片マヒを発病。左半身が不自由になる。
哲ちゃんは、絵を描く時、ほとんどスケッチをしません。じっと見つめて、お話をして、そっとさわって、何時までも観察しています。詩と現実の哲ちゃんとは、違っている事もあります。『朝ごはん』は、哲ちゃんの大好きな食べ物が並び、お米の一粒一粒まで、丁寧に描かれています。それを見ていたら、『朝ごはん』という詩になりました。哲ちゃんが絵を描き続ける限り、“哲ちゃんの詩”は、どんどんあふれでてきます。

P.E.T(親業) 親に自信を与える−新しい親子関係の創造 トマス・ゴードン:著 近藤千恵:訳

トマス・ゴードン博士の提唱するPET(親としての役割を果たす訓練)の活動は全米に広がり、この訓練を受ける人は数十万人に達しています。「親業」というのはP.E.Tの日本語訳の題名です。親が職業であるといっても、むろん親として役割を果たすことによって、金を取るのではありません。人間は誰しも子を産めば親になります。しかし、本当に親になるには難しい。親を職業と心得て、勉強し、努力して、初めて親になれる。それが親業の意味です。近代的な都市の核家族に比べると、昔からの農村の大家族には数多くの役割がありました。農事という職業活動、子どもの教育、娯楽など、家庭が何もかも引受けていました。ところが今の核家族は、住だけの場となり、職業活動は会社や工場、教育は学校、娯楽は映画館や競技場というように分かれてしまいました。それによって生まれた家庭は、理想とは程遠く、暴力・麻薬・離婚というアメリカ家庭の特色ともいえる問題を引き起こしました。もう一度家庭を見直し、親の役割を考えてみよう。こういう機運がアメリカでも高まっていますが、ゴードン博士の親業教育の活動はその一つの現れと見ていいでしょう。 

いのちのいろえんぴつ
/絵 豊島加純 絵・マイケル・グレイニエツ 文・こやま峰子

このおはなしは、本当に起きた事を基にして、作られた創作作品です。豊島加純さんは、10歳の時脳腫瘍にかかりました。本の中の詩と、そのそばにある絵は、加純さんが病気と闘いながら、色鉛筆で描いたものです。これらの詩と絵には、加純さんがとても強く、明るく、一生懸命、生きていくさまが表れています。
12色 ここには、12色のいろがある めだたない色もあるけど、みんながんばってる ひとつ、ひとつ

ぼくもぼくのことすき  野田道子:文  太田 朋:絵

もう、かれこれ45年も前の大学生活最後の夏、私は、滋賀県にある知的障害児施設「近江学園」での実習に参加しました。何も分からないまま、たった2週間でへとへとになった17人の学生の一致した感想は「この子たちの心の中には、透明な輝く何かがある」ということでした。今年はじめに毎日新聞社から「読み聞かせの童話」連載の依頼がありました。「豊中市内の小学校で、障害のある子もない子も共に学び育つ教育の現場を取材し、物語にして欲しい」ということでした。その時は、過去の「へとへとの2週間」の記憶は頭から消えており「教育」という分野に対する恐れでしり込みする気が勝っていたのは事実です。しかし、いざ、先生方の熱意に触れ、障害をもつ4人の男児に会い、お母様方のお話、学校での様子を取材するにつれ、紛れもなく、昔感じた「透明な精神を持つ個性ある子」そのものでした。この物語を読んでくださった皆様に、このような環境の中での子どもたちの交流を知っていただき、障害をもった子にも、もたない子にも、それぞれの心に中に、素晴らしい何かが育まれていったことを感じていただければ幸いです。 

好きやって…言わないくらい好きやって 原田大助詩画集  原田大助*山元加津子:文

大ちゃんと出会って6年という月日が流れました。春も夏も秋も冬も大ちゃんは色々な気持ちを私に話してくれました。その言葉を私がそのまま書き取ると、大ちゃんはそれを自分の字で書き直しました。それがたくさんの詩となりました。美しく、どこまでも優しい大ちゃんの詩は、その間に多くの人に勇気や夢を与えてくれたと思います。3冊目になるこの詩集で、大ちゃんは、観音様の絵や、自然に対する詩などの他に、少年から大人になりつつある気持ちを詩に書いてくれています。3月に大ちゃんは養護学校の高等部を卒業し4月からは授産所で働くことになっています。学校が終わっても、働いていても、「これからもずっと詩は作るよ」と大ちゃんは言いました。「きっとそうしてね」と私も思います。 

ひとり ひとり  僕が撮った精神病棟    大西暢夫

日本には12760万人の人が住み、そのうち精神障害者は258万人です。日本には精神病棟に32万人が入院している。その患者さんたちは平均374日入院し、そのうちの3分の1の患者さんは10年以上の入院生活を送っている。日本のすべての病院を合わせると183万のベッドがあるが、そのうち約5分の1が精神科のベッドである。
僕は、精神病院の中身を知りたくて撮ってきたのではない。そこにいる“ひとりひとりの人”を知りたくて撮ってきたのだ。彼らと出会えば出会うほど、“偏見”という言葉から遠ざかっていく。
 

赤毛のポチ  山中 恒:作  しらい・みのる:絵

この作品は、とても遠い道を歩いて、やっと皆さんの目の前にやってきました。作品が書き始められたのは、1954年で、それから2年余りに渡って、「小さな仲間」というガリ版刷りの同人雑誌に連載されたのです。したがって、この作品を読み続けることができた人は、もしかすると、100人もいなかったろうと思われます。にもかかわらず、この作品を注目する声は、同時代の若い作家たちや、児童文学の研究家たちの間に広まり、まだ作品の終わらないうちから、「問題作」と呼ばれるようになりました。そして、思いがけなく中国の文芸雑誌から高い評価を受け、1956年、日本児童文学者協会より「新人賞」を受けました。しかし、この作品が本になって子どもたちの目に触れることはなく、「読まれざる名作」として何年もうずもれていなくてはなりませんでした。それは出版する側にとっても、読み手の少年少女たちにとっても、このような大長編小説が冒険だと思われたのでしょう。そして、やっと出版となりました。私は信じています。貧しい少女と小犬を中心にきびきびと繰り広げられたこの物語が、笑いと涙のリズムを奏でながら、皆さんの心を波打たせた後には、あるずっしりとした感動が、一生忘れることのできない重さで残るでしょう。

僕の上の星☆君の上の星 原田大助  山本加津子(養護学校教諭)

僕は原田大助です。僕は僕の気持ちを詩にかきます。うれしいことや悲しいこと、鳥のことや虫のこと、海のことや林のこと、雪のことや春のこと、たくさんのことを僕は詩にします。大らかな素直さ、温かさ、底深い宇宙性…。山本加津子先生との絶妙なコンビによる感動の詩画集第二弾!!

高志と孝一 てんとう虫が見た青春  篠田勝夫 作  こさか しげる 画

高志が前を歩く孝一の、右足をかばうような歩き方に「おやっ」と思ったのは、K市最大の夏祭りの日だ。毎年このうちわ祭りを熱い思いで待ち焦がれていた二人は部活をさっさと辞退し、急ぎかけつけた。そしてこの日も、喧騒のなか、体力と気力の限界で演じられる山車の息詰まる競演を、十分堪能し、酔い痴れたのだった。しかしそれからの一年、この仲の良いいとこ同士の中学生をおそった運命は、非常なものだった。 私が小学生の時、中学生のいとこが死んだ。それは、私が初めて経験する人間の死であった。生きる事と死ぬ事が同じ重さでのしかかってきた青春。綱渡りのような青春期に、生きたくても生きられなかったいとこの「あまい、あまい」という声を何時も聞いていた。危なくもろい時期をうまく切り抜けられたのは、死者からの叱責が聞こえていたからかもしれない。

 くるくるキレキレ人生  叶てつこ

著者は中学生の時レイプ未遂にあい、以後数年間引きこもる。社会復帰後、さまざま仕事をしながら、レポーター兼ライターとして活動。その一方で境界性人格障害、うつ病、アルコール&薬物依存と長い戦いを続けてきた。人は絶望するから足を止めるんじゃない。絶望から這い出すことを「あきらめ」てしまったから足を止めるんだ。人は希望があるから前に進むんじゃない。希望を探そうとする「意志」で前に進むんだ。絶望から這い上がる鮮烈な自叙伝。

口で歩く  丘 修三 作   立花尚之助 絵

人はひとりで生きているのではありません。まわりにいるおおぜいの人たちと つながってささえあう輪の中で生きているのです。
       だれひとりとして 意味のない人は、いない。
       だれひとりとして 価値のない人は、いない

ひとりひとりが なにかの役割をになって 人のささえあう輪の中に 生きているのです。 

ヒョコタンの山羊  長崎源之助:作  梶山俊夫:絵

この物語を読んでくれたあなたが、ヒョコタンをどう思ってくれたか、僕はとても気になっています。ヒョコタンは、もうずいぶん長い間、僕の頭の中に生きていたのです。だから、他人のような気がしないのです。そのヒョウコタンが、あなたに好きになってもらえたかどうか、僕はとても心配です。なにしろ、ヒョコタンときたら、足の悪いのは仕方ないとしても、豚臭いし、引っ込み思案だし、のろまだし、その上泣き虫なんです。もちろん「期待される人間像」とはほど遠いでしょう。でも、そんな弱虫のヒョウコタンが、メー吉を守ったことだけは、誉めてやってください。僕は本当はもっと愉快な物語を書くつもりでした。楽しい海戦ごっこや、冒険を書くつもりだったのです。ところが、こんな悲しい終わり方になってしまって、とても残念です。それは、皆あいつのせいなんです。子ども達の大事な太平洋や大草原を奪ったやつ、ヒョコタンからキンサンを奪ったやつ、皆そいつが悪いのです。どうか、僕と一緒にそいつらを心から憎んでください。 
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